自分達が彼を大切にするのは。


その実、彼のためではないのかも知れない。

最近、時々。
そう思うようになった。





去りゆく“今日”の幸せ




「サンジー!飯!!」
「さっき喰ったろうが!ちったぁ我慢しやがれこのクソゴム!!」




いつも通りのやり取りに、周りは苦笑しながら日常を全うする。


ナミは測量室で海図。
ウソップはチョッパーと甲板で釣り。
ブルックのバイオリンをBGMに、ロビンは上部デッキで読書。
フランキーは先程、船内に向かうのが見えた。

ゾロは…見えないがおそらく展望台にいるのだろう。
いつもの通り、鍛練しながら。


平和だ。
この船の面子は、世間様からすればそんなものとはまるで掛け離れた存在であるはずなのに。
現状を表す言葉は、まさしくそれだった。




「無理だ。腹が減ったんだ俺は!」
「真顔で威張って言うんじゃねェよ!」




つい先日魔の海域で死にかけたとは思えない、この日常ぶり。


いつも通り。

下手をすれば二度と拝めなかったかも知れない阿呆面が、目の前にあって。
ともすれば二度と目覚めることもなかったであろう馬鹿を今、
当然のように鍛練しているものだと思っている。

いつも通りだ。なにもかも。
だからこうして考えるのは、いっそ無粋といえよう。

けれども。




「オーイ!なんかでけェのが掛かったぞ!手伝え!!」
「よしきた!」




直ぐさま腕を伸ばして飛んでいくその背中を、悪態をついて見送りながら。
やはり思い返す、戦場の彼。

無茶を繰り返す背中と、それを庇い、代わりに全て背負ってみせたもう一つの背中。

自分は、叶わなかったけれど。




「…ったく…情けねェ」




生死の境をさ迷うのは初めてではなかった。危険な状況など、今までいくらでもあった。

なのに。

失うかと思った。
本当に、失ってしまうかと。

本気でそれを自覚したとき、人はこうまで恐れを抱けるものなのかと、そう思うほどに。




「クソ…」




おもむろに開いてみた手は、心なしか震えている気がして。

握りしめると同時に瞼を閉じたから、気遣うように近づいて来た船医に気付けなかった。




「サンジ…大丈夫か?」

「…!」




こちらを覗き込む顔は真剣そのもので、咄嗟に笑って頭をぽんぽん叩いてやる。




「だーいじょうぶだ。ちょっと考え事してただけだよ」




ホントか?と疑わしげにしながらも、離れていく純真無垢な生き物に苦笑をこぼす。
いらぬ気を遣わせてしまった。

もう終わったことだ、と。
そう言ったのは外ならぬ自分だというのに。








「まだ、元気無さそうですよ?」




後ろからそっと聞こえたのは、かの新入りの声。

最近仲間の顔触れが頓に人間離れしてきた気がするのは、おそらく自分だけではないだろう。
それに慣れつつあるのもまた、あの船長の影響か。




「…そう見えるか?」
「今は、ですけど」
「そうかい」




真実を黙っているのが辛いわけではない。
ただ、失っていたかも知れないものの大きさに震えているのだ。

あぁ、こうまでも自分達は。








「ルフィそっち引け!!」
「あーッ!違…ッ!」
「うぉ!?」
「馬鹿!手ェ離すな、落ちる!」



―――バシャーンッ!



「麦わら!!」
「ルフィ!?…〜ッ、何やってんのよ馬鹿!!」








盛大かつ不吉な音を聞き付けて、一気に甲板が賑わう。

その中でもひと際物ぐさな奴が、降りるよりも直接飛び込んだ方が早いと考えたのだろう。
頭上から降って来た勢いのまま海へと消えた。





「梯子出しとけ!!」




―――バシャーンッ





…そう言い捨てて。


一瞬あ然としたものの、この船にとっては一大事であることに変わりなく。
剣士の鋭い声に、一同は弾かれたように動き出す。

そう。
一大事なのだ。船長の危機は。






――ザバァーン、と浮上する姿を見てウソップが梯子を投げた。

ルフィを片手に抱えたゾロが、
もう片方の手でしっかりと掴んでいた麦わら帽子をナミに投げ渡し、
無言で梯子を昇り始める。

麦わらが見事キャッチされたのをゾロは見届けない。
ルフィの身の危険もあるが、
何より仲間の宝をみすみす掴み損ねるような奴らではないと信頼しているからだろう。

そんなところだけは。
なぜか、妙に似ていると思った。









        ◇







必死の救出劇だったわりには奴の船長の扱いは荒っぽく、
抱えた身体をポイッと芝生に放り投げると自分はどっかりその傍らに腰を下ろした。




「ルフィ――ッ!!」




途端、優秀なる我が一味の船医が号泣しながら駆け寄って処置を始める。
数拍置いてルフィが水を吐き出すまで、
誰もが心配顔を崩さなかったことに、後から考えると少し笑えた。

今までだって何度も同じことがあったのだ。その度に大騒ぎして、この船長を叱って。

ではその時と、何が違うのかといえば。




「…ッ、プハァ…お、溺れるがとおぼっだぁ…」
「バーカ、溺れたんだよ!」
「はぁ…全く、いい加減懲りろよなぁ」
「ホント、心配させないでよね」




全てが紛れも無い本音であることに、はたしてルフィは気付いているのだろうか。

とりあえず要人は意識を取り戻したようなので、
優秀なるコックであるサンジは寛大にも喧嘩仲間の方を気遣ってやることにした。




「ったく、無茶しやがって」




例の怪我もまだ治ってねェだろうにと言外に告げると、
強面の剣士殿は余計なことは言うなとばかりに睨んでくる。

イラッときたので手に持つタオルをバサリと投げ、顔面にぶつけてやった。




「ッ!何しやがる!」
「早く拭け、このマリモマン。風邪ひいてもてめェには病人食なんて作らねェぜ」
「なん…ッ、」





憎たらしい。

失っていたかも知れないものを、守って見せたこの背中もまた。
失っていても、おかしくはなかったのだ。

だから、言いかけた悪態を飲み込んで奴が吐いた言葉を、
サンジはあえて聞かなかったことにした。




「…、…ありがとよ」
「…あァ?何か言ったか?」
「…いや、別に」





どちらを失うことになっていても、結果は最悪といえた。









       ◇








呑気な馬鹿は息を吹き返して、元気な様子でにししと笑う。
麗しき航海士が麦わら帽子を被せてやれば、三億の首の完成だ。

一段落ついた甲板は、無用心な船長にぶつぶつ言いながらも日常に舞い戻る。





「…いつも通り、だな」





無意識に、息をつく。

その呟きに返す声はない。
危機は過ぎ去って、それぞれがそれぞれの場所へと戻ったからだ。

ゆっくりと空に噴き上げた煙が、穏やかにたなびく。





「サンジくーん、何か飲み物ほしいんだけど頼めるー?」
「はぁーい、ナミさん!!お任せ下さい!」




測量室からの要望に笑顔で応え、
一人取り残されていた甲板からようやくキッチンへと向かう。
が、扉を開けてすぐ、サンジはその足を止めることになった。

普段ならこんな真っ昼間には、この場所に居ない奴が居たからだ。





「…珍しいな。一体どういう風の吹き回しだ?」
「うっせェ。水飲みに来ただけだ」




ゾロである。

すっかり日常に戻ったと思っていたのに、こんなところで姿を見てしまっては落ち着かない。




「ハッ、おれ様に感謝しやがれクソマリモ」
「誰がするかよバカコック」




特に本気で生死をさ迷ったその後では、非日常的なことをされると妙に気になるのだ。

それが不安という状態だとは、意地でも認める気はないけれども。




「…おい」




低い呼びかけに睨みを返せば、ゾロは不機嫌そうに言った。




「てめェ野暮なこと考えてんじゃねェぞ」




思考を読まれた気がして、一瞬言葉に詰まる。




「…何のことだか」
「……邪魔したな」




クソコック、と。

最後に彼がそう言い捨てたのを聞いて、サンジは本気で思う。





「これで名前呼ばれた日にゃ終わりだな」





それはこれ以上無いくらい、単純で明確で。
そして同時に、この上もなく恐ろしい目安だった。



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